登場人物の思考プロセスを読み解く:共感力を深める「視点取得」読書術
共感の深まりは、感情だけでなく「思考」の理解から
読書が共感力を養う有効な手段であることは、広く認識されています。物語の登場人物に感情移入し、その喜びや悲しみを追体験することで、私たちは他者の感情を理解する力を育みます。しかし、共感とは単に感情を共有することだけを指すのでしょうか。他者の立場や考え方を理解しようとする、より認知的な側面も共感には含まれます。特に、多様な人々と関わる場面では、相手の感情の背景にある思考や価値観を理解することが、より深い共感的な関わりへと繋がります。
本記事では、物語の登場人物の感情だけでなく、「思考プロセス」に注目して読むことで、共感の認知的な側面、とりわけ「視点取得能力」を高める読書術についてご紹介します。登場人物がなぜそのように考え、行動するのかを深く読み解く視点を持つことは、現実世界での他者理解にも必ず役立つはずです。
共感における「認知」の役割と「視点取得」
共感は、大きく分けて「情動的共感」と「認知的共感」に分類されることがあります。情動的共感は、他者の感情に反応し、似たような感情を体験することです。一方、認知的共感は、他者の感情、思考、意図、信念などを理性的に理解しようとすることです。「他者の立場に立って考える」と表現されることが多いのは、この認知的共感の側面であり、「視点取得(Perspective-taking)」とも呼ばれます。
現実の対人関係においては、相手の感情に寄り添う情動的共感はもちろん重要ですが、相手がなぜその感情を抱いたのか、その背景にどのような考えや価値観があるのかを理解する認知的共感がなければ、問題の本質的な理解や適切な支援には繋がりません。特に、複雑な状況にある人や、自分とは全く異なる文化・価値観を持つ人と関わる際には、この視点取得能力が極めて重要になります。
物語が提供する「思考の追体験」という機会
なぜ物語を読むことが、この視点取得能力の向上に役立つのでしょうか。それは、物語が単に行動や出来事だけでなく、登場人物の内面、すなわち彼らがどのように考え、感じ、判断するのかを詳細に描き出すからです。
私たちは物語を通じて、登場人物の思考の葛藤、信念の揺らぎ、価値観に基づく決断のプロセスを追体験することができます。現実世界では、他者の頭の中で何が起こっているかを直接知ることはできません。しかし、物語の中では、語り手や内面描写を通じて、登場人物が特定の状況でどのような情報を処理し、過去の経験や信念と照らし合わせ、どのような論理や感情に基づいて最終的な判断を下すのかを、あたかも自分のことのように追体験することが可能なのです。
登場人物の思考プロセスを読み解く具体的な読書術
物語を読む際に、登場人物の思考プロセスを意識的に追うための具体的なアプローチをいくつかご紹介します。
行動の「なぜ?」を問いかける
登場人物が何らかの行動を起こしたとき、その行動そのものだけでなく、「なぜこの人物はこのように行動したのだろう?」と自問してみてください。そして、その答えを物語の中に探します。その人物の過去の経験、語られた言葉、語られなかったこと、置かれた状況、他の人物との関係性など、様々なヒントが散りばめられています。表面的な行動の裏にある思考や動機を探る探偵のような視点を持つことが重要です。
意思決定のプロセスに着目する
登場人物が重要な決断を迫られる場面は、思考プロセスが最も色濃く表れる部分です。どのような選択肢があり、それぞれの選択肢についてどのように考え、何を重視し、何を諦めるのか。その葛藤や逡巡、あるいは即断の理由などを丁寧に読み解きます。その人物が何を価値判断の基準としているのかが見えてきます。
期待と異なる言動から「ズレ」を探る
読者が「この人物ならこうするだろう」と予想したのとは異なる言動が登場人物に見られた場合、それはその人物の思考や内面に、読者がまだ気づいていない側面があることを示唆しています。なぜ予想と違ったのか、どのような考えや背景があってその言動に至ったのかを深く掘り下げて読むことで、その人物の人間的な深みや、自分自身の固定観念に気づくことがあります。
内面描写やモノローグを丁寧に追う
小説などでは、登場人物の思考や感情が直接的に描写される場合があります。これらの内面描写やモノローグは、その人物の頭の中で実際に起きている思考プロセスを理解するための重要な手がかりです。表向きの言動と内面の思考が異なる場合もあり、その「違い」から多くのことを学ぶことができます。
登場人物の「信念」や「価値観」を言葉にする
物語を読み進める中で、登場人物が何を信じ、何を大切にしているのかが徐々に見えてきます。それらを自分なりに言葉にして整理してみましょう。「この人物は〇〇を最も重視している」「この人物は△△という信念に基づいて行動している」のように明確にすることで、その人物の思考パターンの根幹が理解しやすくなります。
読書体験を視点取得能力の向上に繋げるために
登場人物の思考プロセスを読み解く読書は、それ自体が知的で興味深い体験ですが、それを自身の共感力や現実での他者理解に繋げるためには、いくつかの工夫が有効です。
- 読書ノートの活用: 特に印象に残った登場人物の思考プロセスや、そこから感じた自身の気づきを記録します。「この人物のこの考え方は、自分の考え方とどう違うか」「この判断基準は、どのような状況で有効か、あるいは課題があるか」など、比較や分析の視点を加えると内省が深まります。
- 多様な物語に触れる: 自分と似たような人物だけでなく、全く異なる背景、価値観、思考パターンを持つ人物が登場する物語を選ぶことで、より幅広い視点取得の練習ができます。歴史小説や異文化を描いた物語、あるいはSFなど、非日常的な状況下の思考プロセスを描いた作品も新たな視点を与えてくれます。
- 現実との関連付け: 読書で得た「思考を追う視点」を、現実の人間関係やニュースなどで報じられる出来事の理解に応用することを意識します。「あの人がああ言ったのは、もしかしたらこういう考えがあったのかもしれない」「この出来事の背景には、登場人物が〇〇を重視したのと同じような価値観があるのかもしれない」など、読書で培った視点を現実世界の複雑な事象の理解に活かす練習をします。
結論:思考を追う読書が拓く、共感の新たな地平
物語の登場人物の思考プロセスを丁寧に追う読書は、共感の感情的な側面に加えて、認知的側面である「視点取得能力」を効果的に養います。他者がどのように考え、なぜそのように行動するのかを理解しようとするこの能力は、多様な人々が共存する現代社会において、より良い関係性を築き、建設的なコミュニケーションを行うための基盤となります。
限られた時間の中でも、単に物語の筋を追うだけでなく、登場人物の心の動き、特に思考のプロセスに意識的に焦点を当てることで、読書体験から得られる学びは格段に深まります。この「思考を追う読書術」を実践することで、あなたの共感力は新たな深まりを見せ、現実世界での他者理解、ひいてはより豊かな人間関係や専門職としての関わりへと繋がっていくことでしょう。物語という安全な空間で、多様な「考える」という体験を重ね、共感の新たな扉を開いていただければ幸いです。